けざわメモ

独自研究を書きます

デマはこうして生まれる [[サントリーオールド]]から学ぶWikipedia「情報の合成」

オールドショック」という言葉をご存知でしょうか?

サントリーオールド」というジャパニーズウイスキーにまつわる事件なのですが、いくぶん古い話ですので、知らない皆様のためにウイスキー情報サイトの解説を引用してみましょう。

 

その昔には、「オールドショック」と呼ばれる事件があり、ウイスキーとは呼べないものを作っていた過去もあります。事件の発端となったのが1981年。日本消費者連盟サントリーオールドの成分を調査したところ、オールドは熟成されていない少量の原酒に穀物アルコールを加えて、カラメルやリキュールを使って味や色を調整していただけのものだった可能性があると判断されたのです。

Peaty「日本のウイスキーサントリーオールド(だるま)」の紹介、事件とは?」より引用(https://peaty.club/blog/1238

好調な売り上げを叩き出したものの、翌年1981年に消費者連盟がサントリーオールドの成分調査を実行「オールドショック」と言われる事案が発生。モルト原酒27.6% グレンウイスキー45.1%  汲水26.1% 甘味果実酒0.8% リキュール0.4% カラメル0.6%といった成分が検出。消費者連盟の見解からは熟成されていない少量の原酒に穀物アルコールを加えて、カラメルやリキュールを使って味や色を調整していただけのものだった可能性があると指摘、判断されたのです。

Japanese Whisky Dictionary「第四章.鳥井信治郎その2(後編)|日本のウイスキーの歴史」より引用(https://jpwhisky.net/2023/05/07/whiskeyhistory4-2-2-2/

これを読むと、オールドショックとは「日本消費者連盟がオールドの構成成分について問題提起したこと」という事件のようですね。

 

さて、結論から申し上げますと、上記の説明は真っ赤な嘘です。オールドショックという言葉に日本消費者連盟はこれっぽっちも関係ありません。本来の「オールドショック」とは「ある時期を境にオールドの売上が大きく下がったこと」を指す言葉です。

しかもこのデマ、生まれはおそらくWikipediaです。個人的になかなか興味深い事案なので、「オールドショック」という言葉の意味がいかにして捻じ曲がっていったかを紐解いていこうと思います。

1 オールドショックとは

「オールドショック」について語る前に、まずは信頼できる情報源にあたって正しい意味を知る必要がありますね。というわけでいくつかの書籍を読んでみましょう。

 

ウイスキー文化研究所代表の土屋守は『ビジネスに効く教養としてのジャパニーズウイスキー』でオールドショックについて述べており、ざっくり要約すると下記のような内容です。

1980年を境にオールドの売り上げが落ちたことを「オールドショック」という。その原因は価格の値上がり、白州の酒質が軽すぎたこと、焼酎ブームの3つである。

また、ジャーナリストの秋場良宣が『サントリー 知られざる研究開発力―「宣伝力」の裏に秘められた強さの源泉』で述べたことをざっくり要約すると次のような内容になります。

オールドの出荷本数はピーク時にくらべて四分の一にまで減少した。これを「オールドショック」という。その原因は、社会が豊かになったことでオールドの「憧れの酒」というブランド価値が薄れたこと、増税による値上がり、焼酎ブームの3つである。

 

それぞれ一つ異なる要因を挙げていますが、オールドの売上減少を「オールドショック」と呼ぶことと増税と焼酎ブームがその原因であることは共通していますね。


2 ウィキペディアの記述の移り変わり

「オールドショック」の本来の意味を知っていただけたと思いますので、次はWikipediaの記述がどうなっているか見ていきましょう。

Wikipediaは過去の編集履歴をすべて遡って確認することができます*1。誰がいつどんな編集をしたか丸わかりというわけです。便利ですね。

 

それでは日本語版Wikipediaの[[サントリーオールド]]の履歴を見てみましょう。便宜上2015-04-18T16:47:29(UTC)の版をA版、2015-05-02T20:39:46(UTC)の版をB版と呼ぶことにします。

出典:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89&action=history より筆者一部加工

 

まずは2015-04-18T16:47:29(UTC)のA版を見てみましょう。


出典:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89&oldid=55162064

出典のない信頼できない記述ですねというのはさておき*2、要約すると「焼酎やワインの台頭、輸入ウイスキーの価格低下によってオールドの売り上げが落ちた。これがオールドショックである。」という趣旨であり、2015年4月18日時点ではWikipediaの記述は間違っていないことがわかります。

続いて、その次の版である2015-05-02T20:39:46(UTC)のB版を見てみましょう。なお、赤線はA版から元々存在した文章で、赤線以外がB版で新規加筆された文章です。

 

出典:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89&oldid=55413515 より筆者一部加工。

 

A版の記述の間にサントリーオールドの混ぜもの疑惑に関する文章が挿入されていますね。出典は示されていませんが、この記述は日本消費者連盟編著『ほんものの酒を! 』(三一書房)がネタ元で間違いありません。この本はサントリーの内部資料をもとに、オールドにカラメルやリキュール、果実酒がブレンドされていると告発した書籍です。内容にはややツッコミどころのある書籍なのですが、その真偽についてはここでは踏み込みません。重要なのはこの書籍に「オールドショック」という単語は一度たりとも登場しないということです。オールドの混ぜもの疑惑とオールドショックという単語は一切関係ないのです。

しかし、それを踏まえてB版を読んでみるとおかしなことに気が付きます。

A版に記述の真ん中に『ほんものの酒を! 』を内容を挿入してしまったためか、「焼酎やワインの台頭、混ぜもの疑惑、輸入ウイスキーの価格低下によってオールドの売り上げが落ちた。これがオールドショックである。」という趣旨に読める文章へ改変されてしまっているのです。混ぜものとオールドショックに関係はないにもかかわらずです。混ぜもの疑惑の文量が多いこともあって、混ぜもの疑惑=オールドショックと勘違いする人が出てもおかしくないですよね。

これがオールドショックと混ぜもの疑惑が結びついてしまった瞬間、すなわち「オールドショック」=「日本消費者連盟がオールドの構成成分について問題提起したこと」であるとするデマが生まれてしまった瞬間ではないかと私は推測しています。「オールドショック」について言及した個人ブログなどいくつか読みましたが、2015年5月以前の記事で混ぜもの疑惑とオールドショックを結びつけている記事は見たことがありません。

しかも驚くべきことに、このB版の内容は2023-06-22T08:32:12(UTC)に修正されるまで8年以上にわたってWikipediaに残り続けました。その結果、冒頭のようなオールドショックの誤った解説を載せるサイトが現れてしまったのです。

 

なお現在では混ぜもの疑惑をオールドショックの項目から離すことで、誤解されないような形にしています。履歴を見てもらえればわかりますがやったのは私です。

出典:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89&oldid=95716906 より筆者一部加工。

 

3 「情報の合成」

実はWikipediaにはこういった出来事を防ぐための規則があります。ずばり[[WP:SYN]]こと「情報の合成」です。

詳しく知りたい方はリンク先を読んでいただくとして、ざっくり言うと「ウィキペディアの執筆者は勝手に三段論法だとか推論だとかをやってはいけない」というルールです*3。具体的には下記のような場合に問題になります。

コラーゲンは肌の主成分でハリを保つ役割がある(出典A)。

鶏肉はコラーゲンを多量に含む(出典B)。

したがって、鶏肉を食べると肌のハリが保たれる。

この例では「鶏肉はコラーゲンを多量に含むため、食べるとコラーゲンの働きで肌のハリが保たれる。」という論立てをやってくれている出典がなければ最後の文章を記述することはできません。

 

今回のオールドの記事で起こったこともこれと同じです。もともとは「焼酎やワインが台頭してきた。輸入ウイスキーの価格が低下した。それゆえオールドの売り上げが落ちた」という文章だったところに、『ほんものの酒を!』の混ぜもの疑惑の話が合成されてしまっています。混ぜもの疑惑とオールドの売上低下の関連を示す出典がないにもかかわらず。

 

この情報の合成、Wikipediaの編集を始めて日の浅い方々が「出典付けたからいいだろ!」といってやってしまいがちな印象があります[要出典]。この記事を読んだ非ウィキペディアンの方が今後もしWikipediaを編集されるときには、この記事のことを思い出してガイドラインに則った編集をしてくださると嬉しいですね:D

 

4 けっきょく何が言いたいのか

「オールドショック」という単語とオールドの混ぜもの疑惑を結びつけて書いているサイトは、Wikipediaの無出典記述を無批判に信頼してしまうような低質なサイトです。もちろん何らかの資料や考察をもとにそのふたつを結びつけているなら別ですが、当然の事実としてそのふたつを結びつけているサイトはほぼ間違いなくWikipediaが元ネタだと思われます。他にもどこに誤情報が紛れているかわからないので参考にするのはやめましょう。

 

2023/07/25追記

「オールドショック」の用例について国立国会図書館デジタルコレクションで調べてみました。ご存じの方も多いと思いますが、多数の文献の全文検索が可能な便利ツールですね。一度使ってみればスタンディングオベーション不可避の素晴らしいサイトなので皆さまぜひ使ってみてください。

雑誌に限って言えば2000年12月までのものが国会図書館内限定閲覧ではあるものの多数収録されています。

 

まずそもそも「オールドショック」という単語がサントリーオールドに関する文脈ではヒットしません。

また、週刊新潮1985年2月21日号*4では上述の『ほんものの酒を!』(1982年)の混ぜもの疑惑を引用して痛烈な批判を展開していますが、やはり「オールドショック」という単語は出てきません。この記事はオールド売上低下の理由として増税と焼酎ブームを挙げつつも、実は混ぜもの疑惑や熟成期間の短さはじめとした質の低さが原因なんじゃない?と勘ぐるような内容です。上記の新潮と同時期に刊行された『サントリーの落日』(1985年)でもやはり「オールドショック」という単語は出てきません。

 

情報を漁れるのは2000年までの一部の雑誌限定ということもあるので断定的なことは言えませんが、やはり「オールドショック」という言葉と混ぜもの疑惑は無関係で、売上低下と疑惑の関連性についてもせいぜい週刊誌に勘ぐられるくらいの関連性であったのだろうと思います。

「オールドショック」って言葉はいつ頃使われ始めたんでしょうね……? 謎が残りました。

 

追記:今回のオールドショックのような事例が他にもあるようで、それをまとめた動画があるので貼っておきます:D

www.youtube.com

*1:著作権侵害などを理由に不可視化されている版が稀にあったりしますが。

*2:Wikipediaではこれを「独自研究」なんて呼んだりします。

*3:理解・要約が間違っていたら教えてください><

*4:この1985年の時点でサントリーオールドの売上は最盛期の30%減であるとしている書籍もあります。